八尾に始まる日本建国創建史

「ΙΑΩ(八尾)に始まる日本建国創建史」に至る迄の足跡(URL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 )

【日本建国史・設計図】とは、世界最初の【ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)・思想】に因る【日之本国・創建年設定図表】(復元)の意で在る。

反逆者「長髄彦(ナガスネヒコ)討伐・物語」の意味

★《【IAΩ】(ιαω/八尾市の語元)に始まる「日本建国創建史・発信会」より》~


…【メシア】のゲマトリア(合計数価…ヘブル語mshich/40+300+10+8=358イエバシロibasilh彼の名はシャム&mgrvpa340)。此の数価を題材として、河内【ΙΑΩ】(八尾市の語元)のアラヒトに因る「長髄彦を討伐する物語」が設定されました。つまり、それは「日本建国思想」(メルキゼデクテクスト/1947年発見死海文書)を確立させる為でありました。
…長髄彦との戦に於いて、イツセ皇子が負傷し皇軍タケヒト(神武天皇の幼名)は「八尾へ軍を引く」(ホツマ文書)。此の事は日本書紀、古事記には全く記載されていません。然し、地元は八尾市の【タコチ神社縁起書】(竹淵神社縁起/八尾市史に取り込まれています)に、地元の人達しか知らない内容を以ての記事が残されていました。従って【竹淵(タコチ)神社・縁起書】は国宝に値します~


…【タコチ】の語元(漢字の竹淵は当て字/黎明的な意味を含む語源の意ではありません)は、ギリシア文字【Χ】(此の字はラテン語には無い)であった。此の文字はイオニア式文字配列順(24文字)では「600」を表します。因みにアッティカの頭音方式数字は「1000」(キリオイ/古典ギリシア語χίλιοιの頭文字)を表します。

…つまり、此の文字順に対し「ゲマトリア秘儀数価」(各々の文字に与えられた数価の合計数…新約聖書黙示録にも666として取り込まれている)を用いたのは、大祭司系【ΙΑΩ=八尾】の【アラヒト】達であった。そして、その文字配列順を【アワ歌】(天地歌)と称し【ヤマト言葉】の「アイウエオ配列」を【アワ歌】順に並べ替え、【1文字・数価言語】、つまり~「ヒ8・フ13・ミ10・ヨ5・ヰ19・ム15・ナ4・ヤ23・コ22・ト2・モ1・チ16・ロ・3」とする「ゲマトリア」(合計数価)数価単語を設定し、【タ・コ・チ400+600=1000/Χの頭音数価)の単語を造語しました。

【ΙΑΩ=八尾のアラヒト】の居住地名(現在は大阪府八尾市竹淵)が現在の八尾市の語元です。その【タコチ】の意味する処は、天界のゴッド(Yahweh=YHVH)との交信を仲介する物体【千木】の前身であった。それで、猿田彦がツワモノヌシ(兵頭)の息子を枚岡で看取り、社を建立するに当たり、その【タコチ】物体を社の屋根に設置しするを以て、兵頭事、ツワモノヌシの息子の死後の名は【アメノコヤネ】(天のΧ屋根/天児屋根命=日本書紀の表記)と呼ばれる事と成る。つまり、此れが神社の【千木】(チ1000・木)の語元です。因みに、祭祀職の「アメ(天)のコ(Χ)ヤネ(屋根)」の御名も、【枚岡神社】(東大阪市/旧・枚岡市)の【置・千木】が語元であった。

★以下【追記】(2020年10月6日・火曜)~


「日本国・歴史の時代区分」に於いて【日本国家・創建時代】と定義する時代区分は設定されていません。何故かと言いますと、我が国の文献史学者(文献史学者は如何なる文書も否定するべからず=否定する人は文献史歴史とは言えません)や考古学者の誰もが、此の我が国の建国創建史文書(ホツマツタヱ)に関し、無視(学芸員の知人の話)する事を決めたからだった。

世界史的「幻の西暦年・設定方式」を以て【神武天皇・即位元年】(幻の西暦1年目・和暦=天鈴暦サナト・辛酉年)が設定されました。因みに、キリスト教が初めて西暦年を設定したのは6世紀の事であり、日本が世界最初の設定国であった。

つまり、ユリウス暦(紀元前45年実施)に於ける「ユダヤ・ヘロデ王の第7年」(紀元前31年・ユダヤ国を襲った大地震発生年)から数え「満・31年目」(紀元前31年)を以て、【神武天皇即位・元年】(皇歴1年目=幻の西暦1年目)が設定されました。それは、反逆者「長髄彦・討伐物語」(ハルマゲドン最終6年戦争の模倣)を介する方式で設定された。その「反逆者・長髄彦討伐物語」(ホツマツタヱ29章を参照)とは~

タケヒト(神武の幼名)は冬10月崇神天皇12年=シロが来る予言数価358ーAD351=紀元前7年に、九州の宮崎から船出し、吉備の児島で戦の準備を整えた。そして海路に於ける浪速を経た河内湖から「ヤマアトカワ」(山後川/シフ川=350川・後に言う渋川)を遡り、先ず、八尾へ赴き「東征の御印」(カミの羽羽矢)を【IΑΩ】ヤオ/八尾市の語元)の大祭司【AL人】(アラヒト)から授かる。つまりそれは、「反逆者・ナガスネ彦を討伐する印」としてホツマ地域(宮城・塩釜)を居住地としていた翁が、八尾を居住地とする大祭司【ΙΑΩのアラヒト】(サドク系大祭司の子孫)に頼んだからであった。つまり、塩釜の翁は、宮崎のタケヒト(神武の幼名)に白羽の矢を立て、【ΙΑΩ】の大祭司にナガスネ彦の討伐を頼んだのである。従って、タケヒトは先ず、八尾へ赴き、八尾のアラヒトから「反逆者を討伐する御印」の【天の羽羽矢】を授かる必要があった。そして、「竜田越え」を行いました~

…然し、竜田の道は険しくて進みえず引き返し、日下(枚岡/東大阪市)越えに作戦が変更された~



…此の続きは後日といたします~

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