八尾に始まる日本建国創建史

「ΙΑΩ(八尾)に始まる日本建国創建史」に至る迄の足跡(URL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 )

【日本建国史・設計図】とは、世界最初の【ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)・思想】に因る【日之本国・創建年設定図表】(復元)の意で在る。

《日本語の元点【ヤマト言葉】&【日本国家・創建思想】ルーツ》解明 !!

《日本語の元点【ヤマト言葉】&【日本国家・創建思想】ルーツ》はエゼキエルの預言である !!
…(追記~令和3年=2021年11月17日・水曜↓ ↓ ↓~
😊**~日本の国語【ヤマト・言葉】(ゲマトリア数価・文言)の5母音は、ギリシア文字に因る「aア・iイ・yウ・eエ・oオ」(イオニア式文字配列順/5五母音=Aア・Eエ・Iイ・Oオ・Yウ=ユプシーロンYy=Uであった。そして、日本独自の助詞「テ・ニ・オ・ハ」も、古代ギリシアのイオニア式文字配列順に並び変えて成る秘儀教義「カバラ数価1191」(カミの息300+テニオハ521+アメノミナカヌシ370=1191)を用いて設定されました。因みに、その数価「1191」の出自は、黙示書(預言書)とされる「ダニエル書5・24~28」(Mene,Mene,Tekel,U、pharsin=メネ、メネ、テケル、ウ、パルシン/計1191)である。つまり~空中に突然現れたカミの手先で宮中の壁に書かれた文字言語である。然し、宮中の誰も誰も読なかった(唯一人・ダニエルが読み解き意味を解説した文字言語)~**
**…日本語【ヤマト言葉】(ヤマト言葉=日本国家の国語)のルーツは、浦ノ崎郷社【佐代姫・神社】(祭神・佐代姫)の「千木の語元・解読」に因って解明する事が出来ました~**

**…そのルーツは、エゼキエルの預言(紀元前586年)を全うし、『死海文書』(1947年発見)を書き残した宗団のトップグループの人達だった事を突き止めました。【ヤマト】(日ノ本と同義語)の国を創建するに当たっては、九州(筑紫)の人口を増やす事から始められました。此れに関連し、腰岳(伊万里富士)産で良質の黒曜石(九州北部・甕棺墓文化時代を築く)が大いに使用されました。此の当時の出来事は、神話の中の「ホホデミノミコト(幼名・山幸彦)の物語として書かれています。因みに、佐賀の語元(黎明的な意を含む語源の意ではありません)と成った「サカシメ」(賢女)とは、山幸彦(後のホホデミ尊)が無くした釣り針を「鯛の口から見つけた人物」(後に言う~ヨト姫)でした~**
…追記、以上~

★【川南工業株式会社・浦ノ崎造船所】(昭和9年=AD1934年/設立者・川南豊作)が、佐賀県伊万里市立岩の浦ノ崎)に進出してくる以前、浦ノ崎の塩浜海岸際(浦ノ崎・変電所の下に位置する)で唯一軒、叔父(小島源三郎)が【焼塩・製造所】(明治41年頃~昭和24年=1949年迄稼働/ジュディス台風8月13日~8月18日・九州で大きな被害)を営んでいて、その叔父が植えた3本の木が夏になると「黄色い美しい花」(ハマボウの花~現在は佐賀県の絶滅危惧種・指定)を咲かせていました。その叔父の家で初めて迎えた夏の或る日の朝昭和25年正月明けの或る夜、楠久炭鉱社宅から夜逃げして叔父の家で迎えた最初の夏で3歳誕生日頃~現在74歳、その黄色い花を初めて見た瞬間(昨日迄は花は無かった)、その花の色の美しさに感激し、直ぐ「花の名」を母に訊きました。すると母が言うには「知らない~ハナ(花)、キ(木)等と名付けた昔の人に訊け」~等と言う返事以後~執拗いので金輪際の質問は一切受け付けない意でした。

…つまり、我が家族の誰も【黄色の花の木】の本当の呼称を知りませんでした。それでその花の呼称をヤット私が見つけたのは、それから40年後の43歳の時大阪府羽曳野市立図書館で検索=塩と真水の処を好む職種と言った叔父の言葉を思い出すでした。つまり、その黄色の花の呼称を調べる切っ掛けと成ったのは、日本語の元点【ヤマト言葉】と【日本国家】の成立ルーツと糸口を発見浦ノ崎【佐代姫神社】の屋根に設置されている千木の語元・解明した瞬間、それは【ハマボウの花の木の下で】、私(3歳)が母に絶交を突き付けられた当時の出来事が、まるで昨日の如く鮮やかに蘇った事に関連する。つまり自分が探し求めていたのは日本語の元点に当たる~「【ヤマト言葉】の語元と紀元(✖源→◎元/黎明的な語意を含む起源&語源の意ではありませんを解明する事」~と言う答えにヤット辿り着いたからでした。因みに、「なして=何故」等と相手にシツコク(執拗)質問する癖は、その時の母とのやり取りを最後として封印(此の日以降、自問自答する時代が続く)し、その母とのやり取りの出来事も、何時しか忘れ去っていた次第でした~

…その4年後(小学1年生・7歳)の或る日の朝食は初めて見た「ソーメン・飯」(米7・麦3に小さい素麺を混ぜたご飯/子供の頃はソーメンやウドン類は味気なくて嫌いだった)だったので食べずに学校(昼迄の授業で給食は無し)へ行った。その下校後は腹が減っているのでミズヤ(食器棚)を開くと、朝の「ソーメン交じりの麦飯」が茶碗に入れて置いてあった。仕方なく食べ、家の前の海岸に何時も止めている我が家の小型発動機船(瓦や原料の粘土を運ぶ船)の上に仰向けに寝て何気なく空を見ていると~「一瞬・太陽の光が私の額を突き抜けた」。茫然とする自分の脳裏に何時の間にか~「自分にしか出来ない事が在る」~と言う文言が自分の脳裏にハッキリ刻み込まれている事に気が付きました。

…その23年後(7歳+23年=30歳/昭和52年=1977年)。【際会=by Chance】バイチャンス的に知り合った或る女性(19歳・喫茶ラブリーの店主)に起因し、私は勉強する事の必要性(私は父の道楽で小中学の教科書は買えず授業的勉強は放棄する方針を貫いていた)を教えてもらいました。それで本を読む事(40頃迄の私は英語は勿論、小学生以上の漢字の読み書きさえ出来ない状態だった)を始めた私は辞書を買って色々な本を読む事が始まりました。そんな折、夢の中に現れた奇妙な文字をタイトル(表題)に用いた本(ホツマツタヱ)に遭遇し、又、その文字の研究に関連し、【死海文書】(昭和22年=1947年・発見)の解説本、つまり『死海文書のすべて』(ジェームス・C・ブァンダーカム著/訳者=秦剛平・青土社発行/2005年3月25日/第1刷発行)と題する本と奇跡的に遭遇(難波・旭屋書店で購入)する事が出来ました。

★…日本語【ヤマト言葉】の「助詞・テニオハ」のルーツは、紀元前2世紀頃の【ダニエル書】(預言=黙示書)にあった。その解明の糸口は、佐賀県伊万里市の浦ノ崎⛩【佐代姫・神社】屋根に設置されている【千木】(置・チギ)の形状を念頭に入れ研究するを以て、【千木】の語元はギリシア文字【Χ】(χ=数価)である事を解明しました。又、皇暦年(神武天皇の即位元年・辛酉)の設定方式は、「20世紀最大の考古学的発見」として世界的ニュース(ロンドンタイムス紙)に成った㊟【死海文書】(獣皮紙巻物・1947年発見)に記述された「メルキゼデク・テクスト・11Q Melch」(主は捕らわれ人に天使とサレム祭祀で王であるメルキゼデクの相続をあてがう文言の中に見つけました~。

㊟『死海文書のすべて』(ジェームス・C・ブァンダーカム著/日本語訳者・秦剛平…青土社2005年3月初版発行)他~

★…今迄、未だ誰も解明しきれなかった【ヤマト言葉】(日本語の元点)と、その起元ルーツをヤット解明する事に成功しました。然し、高齢(2021年=74歳)に成った今、つまり、当【佐賀県伊万里市】の誰か、その伝承者に成って欲しい故、此処に【プライベート グループ】( https://www.facebook.com/groups/1390210101145491 )を設定した次第です。宜しくお願い致します~

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