八尾に始まる日本建国創建史

「ΙΑΩ(八尾)に始まる日本建国創建史」に至る迄の足跡(URL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 )

【日本建国史・設計図】とは、世界最初の【ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)・思想】に因る【日之本国・創建年設定図表】(復元)の意で在る。

「幻の西暦1年目・辛酉」(神武天皇即位元年)とは~

『ホツマツタヱ』(姉妹書・ミカサフミ)が作成されたのはAD4世紀中頃以降の事であり、【縄文時代とは全く無関係】です!!


 つまり、崇神天皇(ミマキイリヒコ)12年(AD351年)以降、それ迄のヤマト国家の歴年史が書き換えられた事に起因します。それは、AD70年にエルサレム第二神殿が陥落(ユダヤ国の滅亡)した事を知ったIAΩ(ヤオ/八尾市の語元)の大祭司アラヒトは、エルサレム第二神殿陥落の翌年(AD71年)をヤマトの歴年史に接続する為に新たに【ホツマ&ミカサ】文書を作成させました。その第二神殿陥落を知った経緯は、垂仁天皇の時として書かれた田道間守が常世に行った物語である。そしてその当時以後に書かれた聖書【第4エズラ記】(第2エスドラス書)に関連します。それは、垂仁天皇崩御の翌年(在位通歴731年)を第二神殿陥落翌年(AD71年を景行天皇即位元年に当てる)に接続させる為に「660年」(サコクシロの語元数価)過去に遡り、観念的に接続する。従って、神武天皇即位元年(幻の西暦1年目.辛酉)も自ずと「660年」過去に下げられる事となる。因みに、景行天皇即位1年目が【幻の西暦71年目】である事は、当時の伊勢神宮の荒木田神官(内宮を専ら奉仕する)は知っていました。

その証拠は、伊勢神宮の荒木田神官が代々書き綴っていた文書『太神宮諸雑事記第一』の「ヲシロワケ=景行天皇条」に書かれています。つまり、「景行天皇28年」を世界暦に照らし合わせれば、後漢の「章和12年」(和帝の永元11…満10年=AD99年)と記す箇所に当たる。要約すれば~後漢(中国史)の「和帝永元12年=AD99−景行天皇28年=AD71年」となる。つまり、景行天皇の即位元年は「幻の西暦71年目」に当たる事を当時の伊勢神宮の内宮の神官は既に知っていました。然し、当時は未だ西暦年は存在しません。その西暦年の設定方式は~キリスト復活祭1巡「563年」(太陰太陽暦19×28=532+キリスト受難年齢31=563年)過去に遡って設定されたからである。因みに、『太神宮諸雑事記第一』とは、伊勢神宮の創建年(雄略21=AD477年)から平安末期迄の主要事項を、**編年体**で皇大神宮(内宮)禰宜の荒木田一族が書き継いだ文書です。

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