八尾に始まる日本建国創建史

「ΙΑΩ(八尾)に始まる日本建国創建史」に至る迄の足跡(URL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 )

【日本建国史・設計図】とは、世界最初の【ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)・思想】に因る【日之本国・創建年設定図表】(復元)の意で在る。

神武東征は八尾市の郷社【竹淵(タコチ)神社】に関連する~

神武東征は八尾市の郷社【竹淵(タコチ)神社】に関連する~

⛩【弥彦神社】(祭神は弥彦)の弥彦(高倉下=タグリ彦)とは、瓊々杵尊の兄ホアカリ尊(神代第9代目の王)に嫡男(後継皇子)が生まれなかったので、弟ニニキネ尊の長男ウメヒト(中部~関東地域の統治者)の子供クニテル命(ニギハヤヒ命)を猶子(ナオコは契約的養子の意)に向い入れた。然し、そのクニテル命にも皇子が生まれなかったので高倉下(天香語山系タクラマロの弟だから高倉下と記す)を更に猶子(契約養子)にしようとしたが断られる。断った豊受系(タカミムスビ8代目)の香語山(高倉下命)は、神武東征軍(クニテル命の別称ニギハヤヒの大臣ナガスネ彦が謀反を起こしたので九州宮崎から討伐に向かった軍隊)の物部(勝利に導く劔を神武に届けた)として加わる。その神武(タ幼名ケヒト)軍が勝利した後~神武天皇の妾だった久米系「イスキヨリ姫=百合姫」(20歳)を妻にして越国(新潟)で隠居生活に入る。つまり、その弥彦から五~六代目の子孫オシ姫(第6代考安天皇の后)が、邪馬台国の卑弥呼(第5代考昭天皇の后ヨソタリ姫)の宗女トヨである~😀




★卑弥呼 (世襲足姫/海部氏本記系図)とは~①火明命(実は瓊瓊杵尊の長男ホアカリ梅仁)~➁天香具山(実は豊受8代目タカミムスビの子供の香具山タクリ彦の弟タクリマロ=高倉下命で別名・弥彦77歳)は妻イスキヨリ姫=百合姫20歳と越国(新潟)に行き隠居する~③弥彦の妻イスキヨリ姫の子供天村雲命~④その子供で天押雲命~その子孫ヨソタリ姫(第5代目考昭天皇の后)が卑弥呼(巫女の世襲制呼称)である~😊!!

…因みに、「神武東征」(
ホツマツタヱ・人の巻29章~タケヒト・ ヤマト討ちの文とは、謀反を起こしたニギハヤヒ(クニテル命)の大臣だったナガスネ彦に対し、多賀(滋賀県)に住んでいたタケヒト(神武の幼名)の兄イツセ皇子が反逆者「ナガスネ討伐」を「ΙΑΩ」(ヤオは八尾市の語元)の大祭司アラヒトに願い出た。それで大祭司アラヒトは東北(ホツマ地域)の塩釜翁にナガスネ彦の討伐命令を出す。それで塩釜翁は九州宮崎のタケヒト(後の神武天皇)に白羽の矢を当て、東征命令が下った。従って、先ず河内の八尾(ホツマ29章)へ行き、討伐の正統性を意味表す天ツ印の羽羽矢を大祭司から受け取り、最初の作戦通り「龍田越え」を行った。然し道が険しく進みえず引き返し、日下越えに作戦が変更された。此処から以降の事は『日本書紀』を参照の事~

★日下越え(恩智地域から日下に向かった)の時、イツセ皇子が臂を射られ苦戦した皇軍は、一旦、大祭司アラヒトの居住地だった八尾へ退く(未だ然りとて八尾へ退く~此の文面が八尾市の語元の初出である/ホツマツタヱ29章)。因みに、その当時の八尾地域(竹淵=タコチ)出来事としては、【郷社・竹淵縁起】(八尾市史の九・光正寺文書/竹淵神社縁起巻上)に記載されています~!!
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