八尾に始まる日本建国創建史

「ΙΑΩ(八尾)に始まる日本建国創建史」に至る迄の足跡(URL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 )

【日本建国史・設計図】とは、世界最初の【ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)・思想】に因る【日之本国・創建年設定図表】(復元)の意で在る。

YouTube~日本人の聖書【ホツマ・ツタヱ】

【ΙΑΩ】(八尾)市の語元に始まる【日本建国・創建史】よ
※…「ΙΑΩ(八尾)市の語元」に始まる【日本建国・創建史】として…YouTube(ユ-チュ-ブ)第一回目を配信しました。その中で、「前漢の哀帝」(紀元前2年/元寿元年)の処で、後漢と言っていますが、【前・漢】の間違いです。何しろ初めての事で、又、上手く喋れなくてすみません…




日本人の聖書【ホツマ・ツタエヱ】に付いて


★…【日本】(JAPAN)の語元(語源の意ではありません)は、「ホツマ」(1年365日=日の本)であった。その別称「ヤマト」とは、「ヰ・ヤマト」(190+294=【484】=伊勢神宮・建立年数価)が語元でした。ちなみに、【ホツマ・ツタヱ】(秀真・伝)と言う文書は『日本書紀』(先代旧事本紀大成教の編纂書を以て繋げられた)の原典に当たります。その数価【484】とは、紀元前7年に於ける【長髄彦・討伐開始年】(B,C,7年)からA,D,477年の【伊勢神宮・建立年】迄の年数でした。



★…日本国家の創建者は【クムラン・秘儀教義宗団】トップグループの子孫達であった。その始まりは、紀元前586年に於けるエゼキエルの予言(カミの顕現=イスラエルの地に大きな地震が発生する)であった。そして、紀元前31年に発生した大地震(カミの顕現)を契機とし、クムラン宗団トップグループの子孫達は、それ迄の文書(死海文書/1947年・発見)をクムラン洞窟に隠し残し、極東方面へと移動(前漢王・哀帝を表敬訪問)する。そのルートは、前漢時代に於ける東呉の会稽地点(徐福の渡海始点地)から船に乗り、辿り着いた極東の島で、【日本(ヤマト)国家】を創建しました。



★…話は変わりますが、A,D,70年に、ローマ軍によって「エルサレム・第2神殿」が陥落し、ゴッド事、Yahweh(ヤハウェ)の祭祀所が消滅した事を知ったヤマト(日本)に於けるクムラン宗団の子孫達は、日本(ホツマ=ヤマト)の国に「God(ヤハウェ)の祭祀所」を創設しました。それが伊勢神宮です。



★…伊勢の語元(語源の意ではありません)は、紀元前1500年頃として、アブラハムが、サレム(平和)の王であり永遠の祭祀者とされるメルキゼデクの危機を救い、メルキゼデクから祝福を受けた事に起因する。つまりそれは、アブラハムの僕(シモベ)【318】人を招集し、アブラハムの甥ロトの全財産、及び、地域で捕らわれた人民、それらの全財産をエラムの王3人グループから取り返した出来事にありました。



★…ヤマト言葉による数価言語には、【カバラ数価】(三角数・1~300迄)と、イオニア式に因る【ギリシア文字配列順・数価】が秘められていました…その代表的な数価文言が此れ…(物部・韓服神社祈祷禁厭之伝/上下・左右・前後動+上下・左右・前後振…各々20回・計120回の身振り鎮魂神事)…そしてその文言は…「ヒ8・フ13・ミ10・ヨ5・ヰ19・ム15・ナ4・ヤ23・コ22・ト2・モ1・チ16・ロ・3=13字合計141」+「三角数ト55迄数えてフ91ル78の事=1年の日数365」(1年循環数価=天使・エノクの数価)ぞと詔(ミコトノリ)。つまり、「既に蘇る」と言う意味は、四季、即ち【一年365日・循環法則】を示唆する言語であった。



★…伊勢神宮の【イセ】の語元(語源の意ではありません)は、アブラハムが招集したシモベ(僕)の数【318】を用い、(三角数)「ヰ・300+モ1+ヲ7+セ10=318」と造語され、その短縮語を以て【ヰセ】(伊勢)と命名されました。そして、その伊勢神宮の内宮(祭神は天照ヲヲンカミ)に、先ず日本のカミ(上)を勧請した後、外宮に【トヨ・受】(ダビデの御魂=God・ヤハウェに通ず)を勧請しました。そのYahweh(ヤハウェ)の別称としての造語【ヤ・ヲ・ヨ・ロ】(三笠文/カミ代ヤマト名の章に記載)の語元も秘儀数価【318】(アブラハムが招集した僕の数)である。


★…「初代・神武天皇」~「第12代・景行天皇迄」(日本建国・創建史)の在位通歴年数価【790】と、日本の国生み物語に於ける【オノコロ】(国生み島)に秘められた秘儀数価は、共に【790】として同数価を用いて設定されました。何故かと言えば、その【ホツマ・ツタヱ】(姉妹書・ミカサフミ)文書は、【日本・建国創建史】文書ではあるが、その本質は【日本人の聖書】として書かれたからであった。


★…暫定的に設定された「景行天皇・即位元年」迄の「皇歴=在位通歴731年」には、「God事・カミとの接近法数価・660さこくし=660・=Godヤハウェの祭壇が設置されたエルサレム第2神殿陥落A,D,70年の翌年に接続する意味)が秘められていました。つまり、暫定的に設定された「景行天皇即位1年目」(731年-さこくし・接近法数価660=ろ・A,D,71年=エルサレム第2神殿陥落の翌年に当る)年代が意味する処は、現実的、且つ、世界年(ユーラシア諸国の歴年)に合致させた年代であった。従って、景行天皇の歴年史に対しては、当時に於ける現実的年代を用いて書かれていた【武内宿禰・文書】(秀真伝・オシロワケ26年条と日本書紀の仁徳天皇紀に記載あり)に繋げられました。因みに、その証拠となる文言(秀真伝・オシロワケ=景行天皇26年条)が → 「年永らえて、或文を、代々に伝ふる、武内は、遂に永らふ、道と成るかな」仁徳天皇紀50年条にも同等の文言が記載されている)であります。要約すれば、つまり早い話が、景行天皇の即位元年は【幻の西暦71年】(エルサレム第2神殿・陥落の翌年=A,D,71年)と言う事に成ります。そして、その事を証明してくれる文献が『太神宮諸雑事記第一』(ダイジングウショゾウジキダイイチ)であります。



★…【ホツマ・ツタヱ】(姉妹書・ミカサフミ)文書を捜し出した聖徳太子(厩戸皇子)は、武内宿禰文書、つまり…「欽明2年=540年/帝王本紀、多有古字(フルキナ)、撰集之人、屢經遷易。後人習讀、以意刊改、傳寫既多、遂致舛雜、前後失次、兄弟參差。今則孝覈古今、歸其眞正、一往難識者、且依一撰而註詳其異。他皆效此)に続く文書とを合わせて編輯し、漢字に因る『先代匶(旧)事本紀大成經』(72巻本)を完成させました。更に、それに繋いで編纂されたのが【日本紀】(ニホンギと読む/逸書)でした。尚、その【逸書・日本紀】の下書き文書(講筵=コウエンのテクスト文書)を、明治時代に編輯し完成させたのが【現存・日本書紀】(国史大系・№1)であります。


★…従って、現在に於けるGod事、Yahweh(ヤハウェ)の祭祀所は、伊勢神宮の【外宮】(祭神・トヨ受カミ)で在る。と言う事になります~


※以下、此のYouTube第一回目⦅日本人の聖書・ホツマ・ツタヱ⦆の読み上げ記事を次に掲載致します

★…初めまして、私は、【小島 宏】と言います。私は、【日本の言葉】の始まりと、【日本の国】の始まりに付いて研究しています。その【日本の国の言葉】と、【日本の国】の始まりを解明しようと決めたのは、今から34年前(1986年)の「39歳」の時で、日本の元号で言えば、「昭和61年8月22日」の「金曜の夕方」に、突然、決めました。そして、それから34年を経た今年2020年(令和2年)の5月に、日本語の元点【ヤマト・言葉】の始まりと、その、ルーツを、目で見ても、直ぐに解るよう、図表にして纏めました。尚、その研究内容の総纏めとしての文書も、既に用意しています。


★…【ヤマト言葉】は、古代ギリシアの【イオニア式・文字配列順】に起因し、その始まりは、『旧約聖書』の中でも【預言書】とされている【ダニエル書】がルーツでした。そして、【初代・神武天皇】の即位元年(1年目)に始まり【第12代・景行天皇】迄の在位通歴年は、【790年】として、意図的に設定されている秘密を解明しました。つまり、日本開闢(かいびゃく)物語に始まる【オノコロ島】の【オノコロ】のゲマトリア数価と、皇暦(歴)時代の【景行天皇】迄の在位通歴歴年数価は、双方とも同じく【790】(ナコソ)数価として設定されていて、その数価の出自は、占いの【フトマニ図】に配置された【秘儀数価】である事を突き止めた事により、私は、景行天皇迄の文書に対し【日本建国・創建史】と定義しました。


★…【Jerusalem(いぇるされむ)・第2神殿】が、A,D,70年に指揮官ティトゥス率いるローマ軍に占領され、破壊、炎上しました。又、この陥落の時を同じくして、ユダヤの大祭司オニアス4世が紀元前145年頃、エジプトに亡命し、【Jerusalem・神殿】を模した、小さな神殿を、エジプトの【太陽の町】(レオントーン・ポリスのブーバステイス・アグリアと呼ばれる土地)に建てていたが、その神殿も、ローマ軍のウェスバシアヌスによって破壊されました。従って、『Bible(ばいぶる)・旧約聖書』の主であるGod事、Yahweh(ヤハウェ)を祀る神殿は、完全に失われてしまいました。


★…ユダヤ教の大祭司オニアス4世が、エジプトへ亡命した経緯は、紀元前175年にオニアス3世がシリアのアンテイオコス4世にイェルサレム神殿の祭祀権を剥奪(はくだつ)された事に始まり、その後の、B,C166年に、ユダヤの田舎の下級祭祀マカベア一族が、シリアに対する反乱軍の指導者に成った事に起因します。つまり、【イェルサレム・第2神殿】の祭祀権に伴う権力闘争(Power struggle/パワー・ストラグル)に於いて、田舎の下級祭祀マカベア一族に追われた大祭司系オニアス4世は、エジプトへの亡命を余儀なくされました。又、下級祭祀系マカベア一族は、【ダマスコ契約・宗団】の指導者の命も狙いました。それで、【ダマスコ契約・宗団】の人達は、ヨルダン西側に位置する荒野【Qumran(くむらん)・地域】の洞窟に隠れ住み、【Qumran(くむらん)・Arcane(あーけーん) (秘儀) Doctrine(どくとりん)(教義) Sect(せくと)(宗団)】(クムラン・アーケーン・ドクトリン・セクト)を結成し、エゼキエルの予言…【theophany(ておふぁにー)】(ギリシア語由来英語・テオファニー)、つまり、【カミの顕現】を長い事、待ち望んでいました。ちなみに、【カミの顕現・テオファニー】とは、「エゼキエル書38・19」に記載されている予言、つまり…「私(カミ)は、妬みと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地(ユダヤ民族の地)に大きな地震が起こる」。とあります。


★…エゼキエルの預言(B,C,586年-555=B,C,31年)から、【555年】程経過した「紀元前31年」に、エゼキエルの預言に当たる大地震が発生し、古代イスラエルの地を襲いました。従って、【Qumran(くむらん)・Arcane (あーけーん)Doctrine(どくとりん)】(クムラン・秘儀 教義)宗団トップグループの人達は、その大地震に対し【カミ(上)の顕現】と捉え、契機とし、予てから予定していた【極東移動】を決行しました。尚、バビロンを拠点としていた【脱・ユダヤ教】の指導者達も、【キリスト・誕生】(B,C,3~2年)を祝福した【東方の三博士】(magi・マギ/占星術師)を含め、メソポタミアから極東方面へ向け移動しました。尚、その移動途中で合流した月氏(げっし)国の使者「伊存」と共に、後漢の哀帝(紀元前2年・元寿元年)を表敬訪問(哀帝の学者=景盧(けいろ)に【浮屠=フト教を伝授)した後、【會稽=カイケイ】(三国史:東呉の会稽郡)地域から渡海し、極東の列島へ辿り着き、【日ノ本・ヤマト国家】(JAPAN)を創建しました。


★…「A,D,70年」に「Jerusalem第2神殿」が陥落、炎上し、唯一【God・Yahweh】(カミ・ヤハウェ)の祭祀所が完全に失われました。そして、その陥落の史実を知った【Qumran(くむらん)・Arcane(あーけーん) (秘儀)・Doctrine(どくとりん)(教義)・Sect(せくと=宗団)】トップグループの子孫達は、【JAPAN】事、【ヤマト国】に「Jerusalem第3神殿」としての【伊勢・神宮】(Ise(いせ) Shrine(しゅらいん))を 建立(Erection=えれくしょん)する事を決めました。従って、現在に於ける「God・Yahweh」の居住地は…「God(ごっど) place(ぷれいす) of(おぶ) residence(れじでんす) is(いず) Ise(いせ) Shrine(しゅらいん) in(いん) Japan(じゃぱん)」(カミの居住地は日本の伊勢神宮)…と言う事になります。ちなみに…伊勢神宮の【伊勢】(ヰセ)の語元は、紀元前1500年頃に於ける【Jerusalem】(イェルサレム)地域での或出来事に関連します。つまり、【ユダヤ教・Only(おんりー)(唯一)・God】を【Jerusalem】(イェルサレム)祀る動機と成った出来事にありました。ちなみに、その経緯は、【Salem】(サレム=平和)の王であり祭祀者でもある【メルキゼデク】の地域が危機に直面した時、「アブラハムは、自分の僕(シモベ)【318】人を招集し、甥ロトの全財産、及び、捕らわれた人民や、それらの全財産を、エラムの王3人グループから取り返した」(創世記14・14~19)事により、【Shalem(されむ)】の永遠の祭祀者【メルキゼデク】から大いなる祝福を受けました。つまり、招集した自分の僕(シモベ)の数【318人】。そのイオニア式ゲマトリア数価【318】を用い、【ヰ300+モ1+ヲ7+セ10】(合計318)と造語し、その省略語を以て【ヰセ】(秀真伝13章/伊勢鈴鹿のアヤ・妹背の語元・ヤマト言葉の文字配列・一覧表を見る)と命名されました。そして、最終的に勧請するGodの別称としては、やはり、【シモベの数318】を用い【ヤ・ヲ・ヨ・ロ】(ヤ276+ヲ21+ヨ15+ロ6=318/ヨロヅ=萬の語元)と造語し、それが、数価【ヨロヅ=1萬】の語元と成りました。ちなみに、【日本語】の元点である【ヤマト・言葉】。その、「ヒフミヨヰムナ~」等の「1文字・数価単語」の設定方式も、古代ギリシアの【イオニア式文字配列順・数価】、及び、三角数(俵積算)を用いて設定されました。従って、【5母音・アイウエオ】も、ギリシア文字のがルーツであり、その子音の配列も、イオニア式ギリシア文字配列順に添って作成されています。


★…日本に於ける【天地・開闢(かいびゃく)物語】。その国生み島を、【オノコロ】(オ・231+ノ・300+コ・253+ロ・6=(イクオール)790)と命名されたのは、【元初・ヤマト言葉】の数価言語、つまり、「ヒ・フ・ミ・ヨ・ヰ~」等と言う【1文字・数価単語】(イオニア式・文字配列順方式)を用い、秘められたカバラ数価【790】(ナコソ)を示唆する言語として設定されたからで在りました。その意味する処は、暫定的に設定された皇歴年、即ち、「初代、神武天皇から12代の景行天皇迄」の暫定的、在位通歴年の合計(空位1年を含める)を意図的に【790年】として設定し、祖国イスラエルの【Jerusalem・第2神殿】(イェルサレム)陥落年(A,D,70年)の翌年に対し【景行天皇・即位1年目】として、観念的に接続(太神宮諸雑事記第一・景行天皇条に掲載あり)させる為でありました。つまり、「神武天皇から景行天皇迄」の在位通歴年数価と、【オノコロ】の数価は同じであります。


★…ちなみに、【カバラ=秘儀数価】の中の【三角数】とは、和算(ワサン)で言えば【俵積算】と呼ばれています。そのように、各々の文字に数価を与える方式は、紀元前8世紀後半頃のアッシリアの王、「サルゴン・二世」が開発し、施行したのが最初とされてます。従って、紀元前6世紀の前半頃、アッシリアの捕囚(ほしゅう)と成った古代ユダヤ国の指導者達は、その捕囚の地で、【秘儀数価】を採用し、カルデア語(後に言うアラム語)によるトーラ、つまり日本語に言う【モーセ五書】を編輯(へんしゅう)しました。そして、その数秘術を秘めた【モーセ五書】は、「脱・ユダヤ教」を目指した人達が採用し、又、その教義を後年へと引き継いだのが【Qumran(くむらん)宗団】のトップグループ」の人達でした。ちなみに、紀元後に派生したキリスト教も、その【脱・ユダヤ教】の系列に属します。尚、元来、ユダヤ教の【モーセ五書】を信奉する多くのユダヤの人達は、「数秘術を秘めたモーセ五書」は使用しませんでした。そのような別けで、「神武天皇の即位元年」から、「景行天皇・崩御年」迄の歴年史に対し、私は【日本建国・創建史】と定義しました。そして、その年代構図を、目で見ても、直ぐに解るよう、今年2020年(令和2年)の5月に、図表を作成し、今、【YouTube】(ユーチューブ)を用い、第一回目として、我が日本の国の起元ルーツを説明する処成りました~(ここ迄で約8分が経過する)。


★…私は3歳の時、各々の「家庭で話されている言葉」は、誰が考え出したのかと言う事が知りたいと思いました。それで私は、【日本語の始まり】を、強いては、日本の、【国家】としての成立過程の謎解きも、合わせて研究する事と成りました。ちなみに、どこの国であっても、自分の国の言葉。そして、その【国家】としての成立過程が知りたいと思うのは当然、当たり前の事であります。然し、日本の国は、不思議と、その始まりに付いては謎に包まれていて、未(いま)だに、誰も、その謎を解明しきれていないのが現状です。然し、早い話しが、この極東の島に【国家】としての体制を整えたのは、【バイブル】(Bible(ばいぶる))。つまり、ユダヤの人は【トーラ】と言いますが、尚、日本語で言う処の『旧約聖書』をルーツとする考え方を、強く維持していた古代ユダヤの或グループの人達が、【ヤマト・国家】としての体制を整えていた事を解明しました。ちなみに、『旧約聖書』の最初の文書は【創世記】と言いますが、ヘブル語では【BRASHITH(べらしと)】と言います。それで、その単語に秘められた秘儀数価、つまり、【カバラ数価】は、【3910】として変換されます。従って、極東の地に於いて新たに開発した【ヤマト言葉】による数価言語、すなわち、「ヒフミヨヰムナヤ~」等の数価言語を用い、その数価【3910】は、【3・9・10(み・こ・と)】と命名し、造語されました。そして更に、日本の国で一番強い【命令語】とする、【ミコトノリ】と言う単語も造語されました。ちなみ、日本最古の歴史書とされる『日本書紀(にほんしょき)』の冒頭に記された【日ノ本(ひのもと)】、【開闢(かいびゃく)物語】に登場する、最初の【カミ】の御名(三笠文・高間成るアヤ)「アシカイヒコチ=床立カミ」を漢字訳するに当たっても、【国常立尊】(クニノトコタチノミコト)と訳し、【ミコト】(命→尊)の称号が付されました。


★…皇暦年の始点と成る、【初代・神武天皇】から、【第12第・景行天皇】迄に対し、【日本建国・創建史】と私が言うのは、【ホツマツタヱ】と題する文書では景行天皇迄で終焉しているからでもあります。では何故、景行天皇迄なのかと言えば、その話は、とても長くなるので次回に説明するとして、話しを進めれば、その【ホツマツタヱ】と言う文書は、聖徳太子が探し出した文書であり、その写本伝承本を、戦後の「昭和41年」(1966年)に、松本義之助(よしのすけ)氏が再発見し普及に努められた事により多くの人達が知る処となりました。ちなみに、その文書は、全文が「40章」から成り、全て【カミ代・文字】で書かれていました。そして、【カミ代・文字】が解読された結果、その文書は、『日本書紀』の【カミ代・物語】、及び、我が国に於ける皇暦年の1年目と成る「カンヤマト・イハワレヒコ」(幼名・タケヒト/後に言う神武天皇)の即位年から、第12代目「オオタラシヒコ・ヲシロワケ」(後に言う景行天皇)迄で終焉(しゅうえん)する内容と成っていました。早い話が、その【ホツマツタヱ】と言う文書は、後年、漢字訳で編纂(へんさん)された『日本書紀』の底本だったと言う事に成ります。尚、その【神代文字(かみよもじ)・文書】が完成した5世紀中頃迄は、未だ、漢字は日本の国字としては採用されていませんでした(ここ迄で約10分程が経過する)。ちなみに、
我が国は、4世紀中頃迄は、小国の連合体制で成り立っていました。それで、【ヤマト】(日の本)思想による【国家】として成立させるに当っては、初代【カンヤマト・イハワレヒコ】(即位前57年+ヤマト294=351数価)を国家初代の王とする事が予め決められていました。それは紀元前6世紀前半頃の「預言者・エゼキエル」が予言した【大地震・発生】年から数え、【31年間】を準備期間とし、その翌年、つまり、【32年目】を以て、【日ノ本】(ヤマト)思想の【ヤマト・国家】として成立させる事でした。ちなみに、その【エゼキエルの予言】とは、「エゼキエル書38章19節~20節」によると…「その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起る」と記されています。そしてその、古代ユダヤ国に於ける予言的な大地震に当るのは、「A,D70年」に「エルサレム・第2神殿」が陥落した後、ヨセフスが書いた【ユダヤ戦記】の中に書かれている地震に当たります。それは、嘗(かつ)てない、つまり空前絶後的な【大地震】だったと記されていて、その発生年は「ユダヤ・ヘロデ王の第7年」((B,C,31年)に「大地震が発生した」と書かれています。つまり、その大地震が、エゼキエルの予言していた大地震に当たります。従って、その年から「31年間の準備期間」を経た、その翌年に対し、【幻の西暦年】を照らし合わせれば、【幻の西暦・1年目】と成ります。では何故、【数価・31】が重要視しされたのかと言えば、それはユダヤ教の元初に於けるGod(ごっど)の御名は、【ALHHM(えろひむ)】と言います。そのカミ名の最初の2文字である【A(えー)】と【L(える)】に対する秘儀数価が【31】(1+30=31)だからです。そして、後年に派生したイスラム教が唱える【アッラー】の語元と成っているように、ユダヤ教では重要な【秘儀数価】とされていました。


★…話を【日本建国・創建史】に戻せば、その【秘儀数価・31】は、古代ギリシアの【イオニア式】による文字配列順数価が【31】に成る文字を選び出し【ウ・タ】(11+20=31)と造語し、又、その【31文字・定型詩】を以て、ヤマト(日ノ本)の国に於ける空想的、観念的【天界】値点に配置したとする【アメ(洪水数価211)の高間の腹】(胎蔵界/160&千/1160+31=1191+3910+4900=満1萬・年)との交信を可能とする【アメ(211)成る道・教義】を設定しました。そして、天照大御神の姉(ヒルコ姫)「ワカ姫が広めた【ウタ】」とする物語を用い、その、【31文字・定型詩】の【ウタ】は、ワカ姫の名前を用い【ワカ】(後年、漢字で和歌と当て字された)とも呼ばれたとする【ワカ姫・物語】をトップに配置し【全・40章】から成る【ホツマ・ツタヱ】文書が【カミ代の文字】を用いて作成されました。


★…神武天皇の即位元年は【幻のA,D,1年目】(西暦1年目)であります。何故【幻】かと言いますと、ローマキリスト教による西暦年の設定方式にあります。それは「284年を第1年とするディオクレティアヌス紀元279年」(284年+279年=563年目)が、キリスト復活祭一巡【532年】(35×15=525+7=A,D,532年)に当たり、それで、キリスト十字架刑の時のキリスト数価31との合計563年」を、過去へ遡り「キリスト・誕生年」(西暦1年目)として設定したからです。つまり、未だ、世界暦が存在しない時代の「神武天皇・即位元年」に対し、私は、【幻の西暦1年目】と言う事にしています。ちなみに、【日本国家・創建史】時代は、日本、独自の文字による言葉が用いられていて、その言葉と言うのが【ヤマト・言葉】であります。尚、その時代にあっては、ユーラシア大陸に於ける前漢と後漢の中間時代を形成する王莽時代に発行された貨幣が、大阪の河内、つまり【八尾市】からも発見されていて、又、その後の後漢の政権者とも、我が国は友好な関係を維持していました。


※…此処迄で、【第一回目】一説①の解説を終わります(小島 宏)。


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