八尾に始まる日本建国創建史

「ΙΑΩ(八尾)に始まる日本建国創建史」に至る迄の足跡(URL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 )

【日本建国史・設計図】とは、世界最初の【ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)・思想】に因る【日之本国・創建年設定図表】(復元)の意で在る。

「八紘一宇」(ヤマト国家)創建史

《秀真=日ノ本思想・ヤマト国家》創建史

は じ め に
…日本の国語の始まりは「ヤマト言葉」である。その【ミコト=命→尊】とは創世記(ベラシト/モーセ五書=①創世記.➁出エジプト記.③レビ記.④民数記.⑤申命記)のカルデア語紀元前アッシリア.新バビロニア.ペルシア王国の公用語BRASIT(ベラシト)文字に秘められたgematria(ゲマトリア=秘密数価)合計で意味を解す方式~2000+200+1000+300+10+400=3910(ミコトの語元数価でノア昇天年から紀元前31年迄の3910年間を意味する数価であった。従って~《秀真(ホツマ)=日ノ本思想・ヤマト国家》~創建年もMShICh(メシアの出現預言文言IBASILH(イェバ・シロー/旧約聖書の創世記49・9~10…遂にはシロが来てのゲマトリア数価【358】ギリシアのイオニア式文字配列順数価合計~40+300+10+8=358に関連付けて設定されました。

…因みに、「日ノ本・思想=秀真国」とは、国史大系第1巻『日本書紀』神武天皇31年条~「昔、伊弉諾尊目曰、此国曰、日本者浦安国、細戈千足国、磯輪上秀真国=袍図莽句爾(ホツマクニ)」ホツマツタヱ・第4章)と記す漢字文献が初出である。

…カバラ教義(口伝/書かれない伝承)のゲマトリアとは、或る文言文字に数価を与え、その合計数を用い意味を解する方式であり、それは、アッシリア王サルゴン2世(紀元前721年即位)の名を数値に対応する「16.283キュビット」の長さでkhorsabad(コルサバード)宮殿の城壁を築いたと記すサルゴン2世の碑文が初出とされている。

…そしてその後年(新バビロン・カルデア王朝時代)に於けるユダヤ民族のバビロン捕囚時代(BC586~BC538年迄)の時として、カルデア語(紀元前・アッシリア/新バビロニア/ペルシア王国の公用語)によるTorah(トーラー/モーセ五書)の編集が許された。それで、カルデア語に因るゲマトリア(紀元前6世紀頃のギリシア文字もイオニア式文字配列順に従って数価を付加)が秘密裏にTorah(トーラ/旧約聖書のモーセ五書)の中に組み込まれました。

…話は変わるが、中世(AD1280年~1286年)ヨーロッパのスペイン北東部カタロニア地方のユダヤ人居住区から、突然、古代アラム語(カルデア語)で書かれたカバラ文書が次々と出現する。つまり現在に言う西洋カバラの原典は2世紀のラビでベン・ヨハイ著『Zohar(ゾハール)』(光輝の書)がルーツである。然し、その本に書かれたゲマトリア数価の殆どは、既に抜け殻状態(筆者説)であった。何故かと言えば、紀元前に於けるカバラ教義の正統的伝授者は、クムラン秘儀教義宗団トップグループの子孫達だったからであり、その事に付いては1947年(昭和22年)にQumran洞穴から偶然発見された【死海文書】の「メルキゼデク.テクスト」11Q Melch~主は捕らわれ人に天使とサレム祭祀で王であるメルキゼデクの相続をあてがう)文面お考察するを以て、筆者が発見しました。



【国語・ヤマト言葉】の設定方式


…口伝(クデン/書かれざる伝承)カバラ教義の本質(理想郷国の創建構想数価)は、預言者エゼキエルが設定した悔い改めの「実践430年間」エゼキエル書4・4~13/39日×10=390年+40年=430年間)に関連する。その事に付いては1947年(昭和22年)にQumran(クムラン)洞穴から偶然発見された【死海文書】(死海の北西/ヨルダン川西岸に位置する)によると、その実践期間年(紀元前586年頃~紀元前156年頃迄)を子孫等代々引き継ぎ全うした人達が存在し、その人達の前に現れた義の教師(紀元前176年頃/死海文書では正体不明者)が指導者となり、ダマスコ契約宗団が結成された。然し、当時のユダヤの政権者だったマカベア兄弟の1人ヨナタン(在位.紀元前160~142年/下級祭祀系だったがシリアのセレウコス朝アレクサンドロス=パスラからJerusalem神殿の大祭司に任命された)から「義の教師」(当時のエルサレム神殿祭儀に対する反対者)は命を狙われたので隠れ住む事となる。

…そしてその後年紀元前125年頃)、ダマスコ契約宗団者はクムラン地域に集会所を設けて再結成以後、筆者はQumran秘儀教義宗団と言うする。つまり、その再結成が意味する処は、カバラ教義ゲマトリア数価【3910】(ミコトの語元数価)を礎とする「脱ユダヤ教」思想による国家創建構築方式を開発するを以て~「来たる日(カミの顕現=巨大地震の発生年)に備える為」~であった。

…クムラン結成年から約94年経過した年にユダヤ地域を襲った巨大地震(紀元前31年によってクムラン集会所(死海の北西/ヨルダン川西岸に位置す)が破壊された。従って、その巨大地震に対し、預言者エゼキエルが予言した★注①【カミの顕現】(Epiphany=エピファニー)であると定義するを以て★注➁極東方面に移動し、徐福が上陸したとされる有明海北部(浮盃=佐賀市諸富町/筑後川下流西側だが最初の上陸予定地は佐賀県の杵島や白石町付近とされている)に到着する。

…因みに、『日本書紀』の底本『ホツマツタヱ』(秀真伝)は、戦後の1966年=昭和41年8月に松本善之助氏が神田の古書店で小笠原長武氏に因る奉呈文を発見し、その後、全文書が発見された。そのホツマ文書には、徐福の子孫等の人達に対し「シナキミ」(薬草に長じた人物で支那君と呼ばれていた/長野県=信濃国の語元文言…ホツマツタヱ15章)と記されている。   

★注①「カミの顕現」(Epiphany=エピファニー)~とは、「私(主=エロヒム)は、妬みと激しい怒りの火を吹き付けて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる」(エゼキエル書38・18~19)。


★注➁極東方面に移動~とは、『三国志』魏志倭人伝の【魏略】に因ると~「天竺有神人大祭司系の人),名沙拉。昔漢哀帝元壽(ゲンジュ)元年(前漢/紀元前2年),博士弟子景盧受大月氏王使者伊存(イソン)伊存口授《浮屠(フト)經》曰復立者元の通りにする人=後に王に成る人其人也。漢哀帝(アイテイ)元壽(ゲンジュ)元年前漢/紀元前2年,西域大月氏使臣伊存來朝,在帝都長安向中國博士弟子景盧(ケイリョウ)口授《浮屠經》。從此佛教正式開始傳入中國,史稱這一佛教初傳歷史標誌為、伊存授經。《浮屠經》在當時產生重要的影響,儘管其中的內容只是一些佛教的常識,也並非嚴格意義上的佛經,但它在社會上層的流傳卻標誌著中國佛教的歷史從此正式邁開了第一步。」~と記す。

ホツマツタヱ・文書』別伝 ⇒ 【フトマニ・図】(太占・図
画像~【太占・図】の中心「ア・ウ・ワ」カミ(三角数カバラ教義のゲマトリア数価 3文字+1+66+300=370)は、国語【ヤマト言葉】を司る「天御中主」の語元数価である。そして、「トホカミ・ヱヒタメ」(8文字・カミ)&「アイフヘ・モヲスシ」カミ(8文字・カミ)の配置方式は、紀元前に於ける地中海沿岸文化圏で使用された星形(☆形)形状に因る「7曜 ⇒ 月火水木金土・配置方式」。及び「1日24時間設定方式」が採用されている~

因みに、円形を8分割(八衢・ヤチマタ)した意味は完全数【8128】(①6・➁28・③496・④8128)に関連付ける為である。従って、その八衢の語意を数価8000に変換し、尚、「祝詞・128哥」の数を合わせ第④番目【完全数8128】を抽出する。そして更に、ギリシア語訳聖書のノア昇天年数価「2242」を合計した【1万370】(God ⇒ ヨロヅ数価1万+天御中主数価370)を導き出すを以て国家体制構築数価と定義し、八紘一宇(掩八紘而為宇~日本書紀巻第三.神武天皇即位前紀・己未年三月丁卯)と言う【ヤマト国家】が創建されました~




…因みに、【八紘一宇】(掩八紘而為宇とは~明治時代に【逸書・日本紀】の下書き【日本紀・講筵】=講例は721年から始まる)文書(佐々木本・田中本・岩崎本等他)が明治時代に編輯され国史大系・第1巻『日本紀』として完成し、その神武天皇即位前紀、つまり、「タケヒト(神武の幼名)が反逆者と成った長髄彦(ナガスネ彦)討伐の為に東征し、その討伐完了した6年目(紀元前2年)3月条に記す文言文字【掩八紘而為宇】に対し、戦前(大東亜戦争・以前)に漢字訳(アメの下を覆って家と成す=八紘一宇)された文言である~



追記(令和4年=5月29日・日曜)~「日本神話の設定方式」!!
…日本最古の歴史書は戦後の昭和41年=1966年に再発見された『ホツマツタヱ』(逸書・日本紀の元典である/『古事記』は歴史書でないので此処では言及致しません)である。その「カミヨの物語」(日本神話)と、「皇暦始点年」の設定方式は、黙示(預言)書であり、カバラ教義のゲマトリア数価が秘密裏に組み込まれた【ダニエル書】だった事を筆者は解明しました。

…『ダニエル書』12章12節~13節…
12節・幸いな事よ、忍んで待ち、「1335日」に達する者は。
13節・貴方は終り迄歩み、休み(
ヨベルの50に入れ。貴方は時の終りに(8章14節数価2300+1335+50=3685+ベラシト・創世記数価3910=7595×236=179万2420)、貴方の割り当ての地(エゼキエルが預言した極東の地に立つ(最終6年戦争=179万2420+日本国の暫定天鈴暦50=179万2470年は天照大神誕生年に遡る)~と、最後の章の最終節に記されている。

…つまり、そのダニエル書の数価179万2470年は、倭国=ヤマト国の歴年史に於けるカミヨ第7代イザナキ尊の皇子ウヒルキ(天照大神の幼名)の誕生年から数え、反逆者となった長髄彦を討伐せよとの詔が発せられた年迄(紀元前7年)の経過年として設定されました。そしてその、長髄彦との「6年戦争」は、最終戦争「ハルマゲドン」(1947年発見【死海文書】に記す戦いの書に因ると~善カミが応援する軍と悪カミが応援する軍との最終6年戦争)の模倣として設定された。その意味する処は、先述に言う【死海文書】に記された文言~「メルキゼデク・テクスト11Q Melch」、つまり「主は捕らわれ人に天使とサレム祭祀で王であるメルキゼデクの相続をあてがう」(エルサレムの大祭司職、及び、王権の相続をあてがう)と言う意味である。

…従って、日本人の聖書として書かれた『秀眞伝』(ホツマツタヱ)文書は、景行天皇(ヲシロワケ)の即位を、エルサレム第2神殿陥落(AD70年)の翌「AD71年」の時とする。つまりそれは【太神宮諸雑事記第一】文書に因ると~景行天皇28年当(後漢章和十二年(AD87+12=99年-景行28年=AD71年/垂仁天皇崩御の翌年3月に田道間守が常世国から非時の香菓を持ち帰る)の時として設定し、尚、ヲシロワケ時代(景行天皇・在位60年)迄として、それは聖書的に終焉する形で作成されました。


…【ランキング】 → ↓ ↓ ← (クリック)お願いします~  

        にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 八尾市情報へ
         にほんブログ村


×

非ログインユーザーとして返信する