八尾に始まる日本建国創建史

「ΙΑΩ(八尾)に始まる日本建国創建史」に至る迄の足跡(URL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 )

【日本建国史・設計図】とは、世界最初の【ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)・思想】に因る【日之本国・創建年設定図表】(復元)の意で在る。

【式年遷宮】はメトン周期に起因する


…《【式年遷宮】(廿年一度・朱雀三年九月廿日以応之例)の秘密》…此の記述は『太神宮諸雑事記第一』に取り込まれている。其の朱雀三年(天武の壬申乱勝利後・其の年に朱雀元年と改元)とは、【如是院年代記】(群書類従巻第四百六十)に因れば、【大化・元年】に改元され抹消されている。尚、其の後、更に、七月を以て【朱鳥・元年】として、其の前の【大化・元年】設定が抹消されているので在る。然して、尚、不思議なのは、【二中歴】では、「斉明女帝七年・辛酉」(661年…天智天皇称制する)の時、【白鳳・元年】と改元(白雉九年迄)されて以来、其の【白鳳】の元号は、廿三年間も続いているので在るが、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)に於いては、「大化元年(抹消)→朱鳥元年」の元号を以て抹消されている。そして、其の年に抹消された「元号→大化」の名称(呼称)が、皇極期の次の孝徳天皇の時として再設定されているので在る。


…此れら、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)記載の元号添付の矛盾が意味するものとは、つまり、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)に記載されている「【元号】とは、元を正せば、継体天皇期の時に取り込まれた」(二中歴に記載在り)ので在った。然るに、「継体天皇~皇極女帝(中大兄皇子・蘇我入鹿を暗殺)迄」の元号(二中歴を参照の事)とは、「オオキミ族」に因る在位歴年管理体制、つまり、【倭暦】(天鈴暦・ヱト兄弟)に起因する「60年循環方式一辺倒」の見直しに在って、其の循環方式の早見的強化の一貫として「梁の元号方式」(例えば皇祖武帝・天監元年)が採用され、継体天皇期(丁酉517年から添付されたと考えられる。因みに、「オオキミ族」とは、「後年に言う処の天皇の地位より一段的上位に位置する権威を有した部族」の称号で在ったと私は考えます。


…上記を要約すれば、「オオキミ族」とは、【ペシェル・pesher】(ヘブル語・術語…注解)的文書で在る処の『秀真伝』(聖書的な内容で書かれている)に記載された【秘儀数値】体系の語意を、全うする為…。又、「ホツマ思想の維持管理体制」を永続的に整える役割をも担っていた部族で在ったと私は解します。然るに、近衛兵、及び、検察部隊的役割を果たしていた物部氏勢力が、当時の天皇系の大臣職で在った蘇我氏と聖徳太子との連合軍に滅ぼされたと言う話(物部氏は八尾を本拠地としていた)が史実で在ったと仮定すれば、古来からの豪族系で在った蘇我氏(大臣職)が中大兄皇子(皇極女帝期)に暗殺された事を以て、其の後の天皇歴年(孝徳天皇~天智天皇)に於ける【元号】(此の頃は【元号・白鳳時代】)の添付も無くなったと推定する事が出来る。其れは何故かと言えば、中大兄皇子が、其れ迄の「オオキミ族」(大王族)の権威を簒奪したからで在る。然るに、【天智天皇】(壬戌元年・662年~辛未671年)崩御後、現在に言う、「壬申乱」(天武天皇元年)を制した天武天皇は、其の2年目、早速、其の当時の元号(白鳳)を取り込み天武天皇歴年史の中に【白鳳・元年】(実際は白鳳12年に当る)と号し、再度添付(此の年を以て白鳳元年として再設定されている)されている事を以て、先述の筆者説の答えと致します。


…此の「天武天皇二年・白鳳元年設定事項」は、養老四年(720年)奏上の【日本紀】(逸書)のみに記述されたと考えられる。尚、其の文書が、第1回目の【日本紀・講例】(養老5年・A,D721)以後、写本を以て【日本紀・講例】が長年継続された中に在って、近年、国史大系書として纏められたのが、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)で在る。


…話を元に戻せば、【二中歴】等(如是院年代記も参照の事)と、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)の原典で在る処の【逸書・日本紀】(紀←ギと読む)とに於いて、「孝徳天皇~持統女帝迄」間の「元号添付年」が混乱している原因は、用明天皇期(586~587)として書かれている、「用明天皇崩御後に於ける蘇我馬子の陰謀」(八尾の物部氏が滅ぼされた)に在った。


…【式年遷宮】は…「何故20年に一度と設定されたのか?」…。此の事が文書を以て公になったのは、少なくとも【逸書・日本紀】(紀←ギと読む)、又、其の【日本紀】(逸書)の改訂版的、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)に因ってで在る。専門的に言えば、『太神宮諸雑事記第一』の出現に因ってで在ろう。然して、此れらの文書を以て【式年遷宮】の義は「持統天皇(女帝)の頃」(天武天皇期頃)に始まった等とされる説が罷り通っているが、此の説は間違いで在ります。【式年遷宮】の起点設定は、【卑弥呼】の語元にヒントが隠されている。つまり…「【式年遷宮】の義は、古代ユダヤ暦の年数を見失わないが為の設定」…で在った。其の、古代「ユダヤ暦との合致点」を媒介していたのが【秘儀数値31】で在る。


…【秘儀数値31】とは、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書記載の「天鈴暦(アスズコヨミ…倭暦)57年目」(神武天皇即位1年前に当たる)を示唆(秘密裏)する数値で在る。此の数値を取り込み【定型詩・31文字歌】(和歌)の歌が、「ワカヒメに因って設定された」等と『秀真伝』の最初の章を以て説明されている。そして、此の「秘儀数値31」を念じて成る威力の程を解説しているのが、後年に至って編輯された『古今和歌集』の序章で在ります。


…【式年遷宮】的行事は、未だ伊勢の地に社(内外宮)が存在しない2世紀後半頃に設定された。其の最初のミコ(巫女)が【ヒミコ】(最初の巫女の意味かも)で在る。其の跡継ぎも世襲的に【ヒミコ】(卑弥呼)と称された。此の呼称(名称)に対し、数値を以て意味付けしたのが、『秀真伝』(三笠文)文書の前身に当る「カミナフミ」(フルゴトフミ→古事記)と称された文書(オオモノヌシ文書)で在る。此の事を示唆する文面が、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)に言えば崇神天皇(紀)条の「オオタタネコ(大直禰子…オオ・タタ・ネ・コ)を探し出せ…」の下りで在る。此の文面の子細は、『秀真伝』を参照の事…。然るに、【式年遷宮】の最初の時の設定は、「20年に一度の社の造り替え」に在って、其の当時(2~3世紀頃)の社は伊勢の地には無かった。尚、其の、「20年に一度」の意味は、【19年7閏法】(前433年頃・メトン周期…235朔望月)をも示唆(秘密裏)している。然るに、此の、定例的行事は、「ヤオ(八尾)のアラビト」(古代ユダヤ民族の祭祀職系の人達?かも)の意見を取り入れたもので在る。それで、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書の作者は、「ミマキイリヒコ」(後に言う崇神天皇)が、トヨスキヒメ(14空姫)の名称(呼称)を用い、「トヨスキ姫を伊勢神宮の祭祀職に任命した」等と成すシナリオを以て、最初的【式年遷宮】の義が行われたと成す文書を創作し、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)に取り込んだので在る。従って、此の【14空姫】(トヨスキヒメ)の語元を追求すれば、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)の構図を解明する事が出来る。此の謎解きの1つが…《持統4年・6年に何故【式年遷宮】が行われたのか?》…で在り、此の意味を考察すれば、謎が解けると言う仕組みと成っていました…。



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