八尾に始まる日本建国創建史

「ΙΑΩ(八尾)に始まる日本建国創建史」に至る迄の足跡(URL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 )

【日本建国史・設計図】とは、世界最初の【ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)・思想】に因る【日之本国・創建年設定図表】(復元)の意で在る。

【伊勢神宮・サコクシロ】の意味に付いて

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…『現存・日本書記』とは、つまり、此処に至る経緯に付いて、先ず説明すれば、「養老4年奏上・日本紀()」(逸書)文書が、其の翌年(A,D721)、既に、書き換えられたので在った。然るに、此の時、【神代・歴年数値文書】の部分が、抹殺されたので在る。然し、其の【神代・歴年数値文書】と同等の文書内容、及び、本文に当る【日本紀()】(逸書)文書と同等の文書、共々、伊勢神宮関連氏族の、或人達が保存していたので在った。従って、其の文書伝承は、『現存・日本書記』とは、又、別ルートで伝承され、其の、別ルートを辿ったと考えられる文書の断片が、後年、【名文抄】(続群書類従書)の中に収められました。従って、焚書的、其の、抹殺を逃れ、現存しているので在りました。尚、本家本元で在る、伊勢の神官達は、其の【神代・歴年数値文書】と、其の本文で在る処の…「伊勢神宮建立年に関する起元的文書断片」…に関する内容を、『神道五部書・倭姫命世記』(国史大系書書)として纏められていて、現在は、公な文書として公刊されています。


…然して、最初の、其の標題で在る処の【日本紀(ギ)】(逸書)が、何故、『日本書記』(現存・写本伝承)と成す標題に変わったたのか?。


…【神代・歴年数値文書】が抹殺されたのは、『日本紀()』が奏上(養老4年)された、其の翌年、早速、開催された「第1回目」の、【日本紀・講例】(養老5年・A,D721)の時で在ったと考えられます。従って、以後、当時の人達は【日本紀】(逸書)を研究するも、先史以前(奈良時代以前)史、及び、神代時代に関する事等の内容が解らなく成っていて、其の、解らない事を知りたいと言う処の欲求が高まっていた事が、『釈日本紀』をみれば解ります。つまり、第1回目の【日本紀・講例】からは、「約90年」程の年数を経た、弘仁3年(嵯峨4年)に開始された【日本紀・講例】(A,D812)、そして、其れ以後に開催された時の内容等を考察すれば、「謎的、神代時代への質問、及び、其の答弁内容」として、其の答弁等の文面でに溢れております。そして、更に、其の講例が重なる度に在っては、何時しか、元初の【日本紀】(逸書)を、写本する折、【書】の文字が付され、【日本書紀】と成ったと考えられます。然して、古代期からの有力氏族の或人達に因る、写本伝承(佐々木旧蔵本・田中本・他多数)が、後年に至るも保存され、其れらの文書が、明治時代に至り集められて、現在に言う『日本書紀』として、刊行されるに至ったので在りました。 


…然して、現在に言う『日本書紀』とは、明治時代に於いて、つまり、【国史大系】(経済雑誌社発行)として、「治30年・1897年~明治34年・1901年迄」に、「17冊の本」(監修&校訂者…黒坂勝美)が、刊行され、其の中の一冊が、即ち、『№1・日本書記』(現存)で在ります。 


…さて、此のブログの標題に言う【ヤシロ様式サコクシロ】とは何かと言えば、つまり、【ヤシロ】(社)の定義は、【チギ】(千木)が設置されて始めて【ヤシロ】と言えるので在る。従って、【千木】が設置されていない【筥崎宮】は、【ジンジャ】(神社)では在りません。然るに、「ジンジャ」(神社)と言う名称には、【カミ⇒上】(神)の意を意味表す文字が用いられいるので在ります。然るに、【ヤシロ】とは、元来、漢字が導入されていない時代に造語された言語で在って、【カミノヤシロ】(訓読)と言うのが正しい名称で在ります。尚、漢字読みの「じんぐう」(神宮)然り、【カミノヤシロ】と言うのが正しい呼称で在ります。然るに、倭語(訓読)【カミ】に対する当て字として【神】の字を当てるのは間違っています。然るに、【伊勢神宮】は【イセノヤシロ】(訓読)と言うのが正しい呼称で在って、「イセジングウ」と言う呼び方には違和感(訓音混合呼称)が在ります。


…然して、博多(福岡県)の【筥崎宮】は、其の名が記す通り、【カミ】の意が取り込まれていない名称で在り、且つ、肝心成る【千木】の設置も在りません。従って、【ヤシロ】(社)、即ち、【神社・様式】では無い事を以て、神社では無いと言う事に成ります。


…【ヤシロ】の語元は、【シロ】(Chilh…創世記49・10)に在った。其れは…「ついにはシロが(chilh)が来て」(IBAShILH・イエバシロ)と言う言語に起因する。然るに、此処に言う【ShILH・シロ】と言う外国語に対し、【元始・ヤマトコトバ】(基本・48文字言語)に対応させての造語で在った。尚、【カミ】(漢字・神の字源は関係在りません)とは、宇宙的範疇を想定しての言語と考えれば、【上】と当て字するのが適正(カミ⇒上)だと私は考えます。然る後、【Yahweh】(ハウェ)の頭文字に当る【】の文字言語と【シロ】(Chilh)の組み合わせを以て、【ヤシロ】と言う言葉文字も造語された。然して、此処に言う【ヤシロ】の語元に関し、我が国最古の歴史書で在る処の『秀真伝』(第17章)文書を読めば、此の事を示唆する説明が記されています。尚、【イエ】(家)の語元も然り、【IBA・イエバ】の呼称に言う【イエ】(家)が、其の語元で在る。


…【元始・倭語】(元始・ヤマトコトバ)とは、未だ、我が国に漢字が導入されていなかった紀元前1世紀後半頃から、我が国の言語としての普及作業が始められていった。其の【元始・ヤマトコトバ】の中の【カミ】に関連(包む材料として開発された)する意を以て、現在に言う【和紙】に対しても【カミ】(紙)と命名されたので在った。然るに、古代(我が国の先史時代)我が国に於ける和紙の発明は、古代エジプトの【パピルス】(植物繊維の利用方法)に起因します。…



…此の続きは後日と致します…宜しく…。

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