八尾に始まる日本建国創建史

「ΙΑΩ(八尾)に始まる日本建国創建史」に至る迄の足跡(URL… http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 )

【日本建国史・設計図】とは、世界最初の【ΧΡΙΣΤΟΣ(キリスト)・思想】に因る【日之本国・創建年設定図表】(復元)の意で在る。

【伊勢神宮・建立年設定方式】は八尾市の『竹淵神社・縁起書』内容に起因する!!

【IAΩ】ヤオ/八尾市の語元文字)に起因する【日本建国・創建史】発信会より~


…八尾市に言う【ヤオ】の出自は、反逆者の長髄彦と九州の宮崎から東征したタケヒト皇軍が「日下」(現在の大阪府東大阪市日下町)で戦って、イツセ皇子が負傷した事を記述する【日本人の聖書・ホツマツタヱ】(全文が五・七調の文書)である。つまり、その文面(前文と後文・略)は~「皆然りとて、八尾へ退く、アダ(仇)も迫まらず」(ホツマ伝・29章から抜粋)とある。又、その語元(黎明的語意を含む語源の意ではありません)は、「20世紀最大の考古学的発見」(1948年4月12日付のロンドンタイムス紙)としてニュースに成った【獣皮紙巻物】(1947年発見・死海文書)中のレビ記(断片文字)に書かれた文字【ιαω】(ΙΑΩ=ヤオ)が語元である。


…つまり、ヤマト(日の本の意)の国の創建ルーツは、【死海文書】(1947年・クムラン洞窟から発見)をクムランの洞窟に隠し残して極東の島へ移動して来た【クムラン・秘儀教義宗団】トップグループの子孫達である!!  


…「紀元前(BC)586年」にエルサレム神殿が陥落してから次の第2神殿がローマ軍に攻撃され陥落しました。そして、そのエルサレム第2神殿の崩壊と共にユダヤ国は滅亡する~


…二千年以上前の【死海文書】が発見(1947年・クムラン洞窟から発見)され、その文書に因ると【クムラン秘儀教義宗団】(初期・エッセネ思想宗団)が存在していた事が解った。つまり、その宗団トップグループの子孫達は、ヘロデ王の第七年(紀元前31年)にユダヤ地域を襲った巨大地震(エゼキエルが予言したカミの顕現的・大地震)を契機と捉え、エゼキエルの預言に従って極東方面に移動する(自説)。その秘儀教義宗団トッブグループの一部の人達が移動した当時の出来事が卑弥呼に関連する【魏略】(前漢の哀帝元寿元年=紀元前2年/博士弟子、景盧受、大月氏王使「伊存口受」浮屠経)に記載されている。その【クムラン秘儀教義宗団】トップグループの人達の指導者は~Godヤハウェ(YHVH)の別称【ΙΑΩ=ιαω】(ヤオ/Godおんカミ = ヤハウェの別称)をカミ上の意)と称し、ローマ側から見て極東に位置する島で最初に祀った場所に対し【ヤオ】(ΙΑΩ=大阪府八尾市の語元)と命名しました。つまり、その大祭司の呼称が「アラヒト」である。因みに、その後に言う「ヤオノアラヒト」と言う呼称は【世襲制】文言としての呼称(ホツマツタヱ文書のミマキイリヒコ=後に言う崇神天皇の時)である。


…従って、【日本人の聖書】として書かれた『ホツマ・ツタヱ』文書には、「ヤオノアラヒト」と記述されている。因みに、【ιαω】(ΙΑΩ)と表記する、その文字の初出は~【死海文書】で、それは~クムラン第4洞窟から発見された「レビ記・断片」文字(レビ記3・12&4・27の文面)の事である。


…先述に言う~「紀元前(BC)586年」に、エルサレム神殿が陥落。そして尚、次に再建されたエルサレム第2神殿もローマ軍に因って陥落し、ユダヤ民族の祭祀所が無くなりました。そしてAD3世紀初め頃(世襲足姫=卑弥呼の登場時代)、その第2神殿の陥落を知った大祭司としての世襲呼称「ヤオノアラヒト」は、その後年(AD349年=ホツマ文書・崇神天皇10年7月)に於いて「最初のエルサレム神殿陥落(BC586年)」から「第2神殿陥落の翌年」(AD71年)迄の通年数価【657】(586+70+1=657年)を念頭に置き、詔(ミコトノリ)を行った。その★詔とは即ち~


★(ミコトノリ)~「ややヲヱ(終え/汚穢=終え物=鬼)去れと、遠つ国(地中海沿岸文化圏に於けるユダヤ民族の国)、アラヒトノリ()お、未だ向けず」(ホツマツタエ・33章/崇神天皇10年7)~と記す。


…そしてその翌年(AD351年=ホツマ文書・崇神天皇12年3月)の事。予てから計画していた創世記の預言(創世記49・9~10/イエバシローのカバラ数価358を年数に変換し紀元前7年に遡る文書内容を実行する)。即ち「エルサレム第3神殿」としての【伊勢神宮・建立年】設定方式の構築計画を実行する事である。その事に関連した文書と言うのが~「反逆者・長髄彦を討伐する物語」~である。


…従って、「八尾のアラ(AL=31)ヒト」(大祭祀の世襲呼称)が、それ迄に「君&臣」達に書かせていた遺文(ノコシフミ)を、三輪氏族のクシヒコ(初代・大物主櫛瓺玉/ワニ彦の通称クシミカタマ)に編集させ、国書(日本人の聖書)として完成したのが【ホツマツタヱ】(秀真伝)文書であり、その姉妹書が【ミカサフミ】(三笠文)である。


…因みに筆者が、伊勢神宮は「第3・エルサレム神殿」として創建されたと定義付ける根拠は、その伊勢神宮に言う地名【伊勢】の語元にある。つまり【伊勢】とは、最初からカバラ数価を組み込んで成る【ヤマト言葉・48文字】(数価言語ヒフミヨ~も然り)の中からゲマトリア数価【318】。つまり「ゐ300+も1+を7+せ10318」数価に合致する「ゐもをせ」(妹ヲ背の短縮語 ⇒ ゐせ)文言文字を意図的に抽出したのである。その意味する処は、モーセ五書(トーラ)の「創世記14・14~15/選ばれたアブラハムの僕の数318」に合致させる為であった。


…【ゐもをせ】(妹ヲ背)の出自は、『散逸書・三笠文』(ホツマツタヱ文書の姉妹書)で、その文面を次に記します~


★(前文略/五・七調の文書)…「(前文略)~たらちねカミわ、たたひとり、ゐもをせかみの、おうみて~(後文略)」(秀真伝の姉妹書・ミカサフより抜粋)。


…その漢字訳としては…「垂乳根神わ、唯一人、妹ヲ背カミ()の、(霊)を生みて~」(散逸書・三笠文より抜粋)。



…選ばれた聖なるアブラハムの僕318人の敵は、ロトの全財産を奪ったソドムとゴモラ王の残りの兵士達で有り、その戦いで勝利したアブラハムは、サレムの王であり、サレムの永遠の大祭司でもあるメルキゼデクからサレム(エルサレムの語元)の祭祀権を手に入れました。つまり、伊勢神宮は【エルサレム第3神殿】として創建されたと言う事ですのです。 


…そして尚、伊勢神宮の建立年設定方式は、日本人の聖書として、倭暦としては意図して暫定的に設定しました。つまり、【アスズコヨミ】(天鈴暦=847年迄で終焉)の皇暦始点年(幻の西暦1年目・辛酉)から計算すれば、現実的、歴史的にはユダヤ暦より意図的に「180年」(西暦1年=ユダヤ暦3761年+ 180=3941年の倭暦は神武天皇1年目辛酉)多く設定しました。その「180年多い倭暦の設定方式」が意味する処は、カバラ教義で神聖視された「チィルフ数価」(ユダヤ文字数22×22=484数価)を現実的、歴史的年代に関連付ける(紀元前7年=甲寅年から484目/ユダヤ文字22×22=484を年数に換算)為であった。従って伊勢神宮は、当時としては「幻の西暦477年」(484-BC7年=477年/【太神宮諸雑事記第一】に記載~伊勢の内宮は雄略天皇22年に天照カミを勧請。伊勢の下宮は翌AD478年に豊受を勧請)時に【天照・ヲンカミ】(天照ONカミとはエジプトの聖書地名イウヌウ=別称オン/太陽神アトゥムを宇宙創造神とする)と称して勧請(【太神宮諸雑事記第一】に記載)されました。


…文書(聖書)的な【伊勢神宮・建立年設定方式】は~最初のエルサレム神殿の陥落年から数え、次の第2エルサレム神殿が陥落(ユダヤ民族の離散/ディアスポラ)の翌年(AD71年・景行天皇の即位1年目)迄の通年数価【657】を用い、皇暦1年(初代・神武天皇即位元年)から【657年目】を【伊勢神宮・建立年】(垂仁天皇26年)として設定する。その意味する処は、エルサレム第2神殿の陥落の史実を知った「八尾のアラ(AL=31)ヒト」(世襲呼称)は、Godの祭祀場所が失われた事を考慮し、新たに極東(ローマ側から見て極東)に建立する伊勢神宮を「エルサレム・第3神殿」として位置付ける為であった!! 


「AD71年・景行天皇の即位1年目」とする、その出自は~『太神宮諸雑事記第一』に記載されています。つまり~「景行天皇28年当章和十二年」(AD87+12=AD99年)-「景行28年」=【AD71年】に成るからです~


★…【追記】2021/09/19・日曜朝しました~
…聖書的に「ヲシロワケ」(景行天皇)の即位年を幻の西暦71年目としエルサレム第2神殿陥落の翌年として、間接的に接続させる発案者は、ミマキイリヒコ(崇神天皇)時代(4世紀中頃~5世紀初め頃)の大祭司「ヤオノアラヒト」八尾のALヒト)である。その方式は、天使を登場させた事にあります。その天使とは~【空這う児・アマカツ=カバラ数価は85&4&計89】(「あれ鬼ものお、敗るなら、空這う児=アマカツにて、招き入れ」(ホツマツタヱ・12章に記載)です。



…なぜヤマト国の天使(空這児)としては【アマカツ】と命名し、又、その天使に関連付けられたオニ(鬼/ゲマトリア数価276)を登場させたのか?~それはつまり、ユダヤ教の最初の天使はエノク(Godエロヒムと共に行動する/数価365)であり、又、後年に於いては、別称【天使・サンダルフォン】(カバラ数価280)と称し記述されている事に関連しています。因みに、カバラ数価【276】はクムラン秘儀教義宗団思者の中では【差し迫る恐怖】(新約聖書・パウロ使徒行伝27・33-28~私達、難破船に居た者は276人であった)に関連付けられていたからであった。



★世襲の呼称「大祭司・八尾のアラ(AL=31)ヒト」に因る~【ヤマトの天使】(空這う児アマカツのカバラ数価~4/85/計280)登場。


八尾のアラヒトの詔(崇神天皇12年=AD351年)年+天使数価280=天鈴暦631年(天鈴暦631年・崇神天皇の崩御年)として、それ迄の歴年史を書き換えました。その書き換え本「ホツマツタヱ」と「ミカサフミ」文書が、現在の『日本書紀』の底本(『逸書・日本紀』)である


~又、八尾のアラヒトの詔の年崇神天皇12年=AD351年)を以て、逆にそれ迄の歴年を過去(紀元前7年)に遡り、そして【反逆者の長髄彦を討伐する物語】(八尾市の竹淵神社縁起書に記載有り)を介し、神武天皇の・天使280=エルサレム第2神殿陥落の翌AD71年(景行天皇の即位元として設定)



…因みに、【ヤマトの天使】(空這う児アマカツのカバラ数価~4/85/計280)に関連付けて【オニ】(鬼のカバラ数価・276)を登場させたのは何故かと言えば、初期キリスト教(クムラン秘儀教義宗団のエッセネ思想の後継者の人が立ち上げた)の間では~「数価276は【危機】(鬼気)迫る数価」使徒行伝27・33~28/難破船~私達、船に居た者は276人であった)と捉えられていた事に関連します。その【ヤマトの天使】に付いては、隠れ神道としての「光明真言・文字」(24字=記号文字)を作成した空海も知っていました。



…従って空海は、「オニ数価・276」を用い、玄奘三蔵漢字訳の【摩訶般若波羅蜜多心経​】​​​​​​に対し~【全276文字】(主題文字10字+本文262字+奥題4字/般若心経=276文字)として再設定しました。そして尚、自ら作成した【光明真言・文字】の「第23番目」(ゲマトリア数価はオニと同数の276)の造字に当っては、梵字【ア・カ・ウ・マ4字&ゲマトリア数価85はヤマトの天使と数価価である)と言う字を抽出し4字合成文字(モノグラム)として【ウン186数価~季節的な1年365日の半分で春分から秋分迄の日数と読ませた。つまりその意図する処は、「1年365日・循環法則の季節~【春・夏・秋・冬】を示唆する文言として、それも意図に造字しました。


★その、ヤマトの天使として登場する【空這う児・アマカツ】(ホツマツタヱ・12章に対する詳細な事は、別ブログの終りの部分( ↓ ↓ ↓https://ameblo.jp/erusaremu464/entry-12698594897.html ← URL~http//…をクリック・検索)に記載しています~





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